Episode.1-2
【scene.01】
シーン01:
アルデベルト養成所 - 食堂
Characters
-登場人物-

No.1496
Eisen Angsting

No.1483
Griglia Adagio

No.967
Hans Uova

No.1124
Doll Giuratino
「完全にお前が悪い」
「……」
「何とか言え、コラ」
右手に持ったフォークをアイゼンの方へ向けて、
グリリアは少し怒っている様子だ。
「……まぁ、俺が悪いんだろうな」
目を合わせずに答える。
アイゼンは手に持っていたカップから、
スープを一口だけ、静かにこくんと飲み込んだ。
美味しいような、不味いような。
「ハァ……なんでボクまでさあ……」
声に力が入っていない。
呆れからくる、脱力感。
怒りの程度や種類によって、
人間が放つ音の【圧力】は変わってくるものだ。
「ものだ」、……と言われたところで、
この感覚はアイゼンにしか分かりようもない話だが。
今の場合はどんな風に表現すると、
他の人間にも分かりやすく伝えられるのか。
【中途半端に尖った音符に、ちくちくと複数回、体を刺されているような感覚】
か?
つまり、激しく重たい怒りではなく、
「まだ幼い子供が、自分の思い通りにならなくて
じたばたと喚いている」
といった調子。
すぐ忘れるような、
”深刻ではない一時的な怒り”、だ。
グリリアは皿に乗っていた肉に向かって
そのフォークをぐさっと、乱暴に突き立てた。
テーブルに肘を付き、椅子には足も乗せている。
”なんと行儀の悪い”
その動きを、アイゼンはいつものように
目だけで追いかける。
「行儀もクソもあるか」
「……」
「連帯責任なんてクソ食らえ……」
「……、」
”某国ではお前みたいな奴を
【自分のことを棚に上げて】
と表現するらしいな”
「……あぁ? 何か言いたげだな、アイゼン?」
聞こえてるクセに。
「ボクにはお前が何を考えてるかなんて、
全くこれっぽっちも分かりませんよ~」
「そうですか」
「誰かさんの言葉を借りるとさ、」
”他人の考えは、他人には到底分かりません?”
ああ、白々しい。
「……しかし、まだ痛ぇ」
誰かに殴られたらしい頬の傷を触りながら、
グリリアはぽつりと、独り言を呟いている。
”近くにいる相手”には聞こえるくらいの小声で。
「俺もだが?」
同じ傷が、アイゼンの左頬にも見てとれた。
「だから、誰のせいだよって!」
「……」
「聞いてんのか?!」
「あァ?」
ガシャンッ
と、アイゼンは突然、カップを雑に置いた。
「っえ、……な、なに…?」
見慣れない、その乱暴な反応に、
少しだけ心が揺らぐ。
「驚愕」と「動揺」の旋律。
「なぁ、グリリア?」
「な、何だよ……?」
目が合った。
互いの瞳の中に、
それぞれの顔が綺麗に映り込んでいる。
二人とも、変な顔だなあ。
「俺はこの場合、お前に謝ればいいのか?」
…………あれ?
何か意外な言葉が飛んでくるかと思いきや。
グリリアが放った心の揺らぎは、
何事もなかったかのように一瞬で消え去った。
”いつもそうするように”、
にやりと意地の悪そうな笑顔に早変わり。
「そうそう、素直に謝りゃいいんだよ」
「……」
「悪いのはお前なんだからさ」
それから、カンカンっと
フォークで皿を鳴らしてアイゼンを煽る。
「……そうですか」
「どうぞ遠慮なく謝っちゃってよ」
”ごめんなさい?”
「……」
「……」
「……」
「……ん?」
「……」
おや、次の台詞は?
「……」
「……」
「……んん?」
無駄な三点リーダー。
間が長い。
「……」
「…………、あれ?」
アイゼンの目線が、ふっと左上に逸れる。
「……」
「もしもし? アイゼンさーーん?」
何かを考えている顔。
「……」
「おーい」
次の台詞は『申し訳ございませんでした』でしょ?
「……いや、やっぱり、おかしい」
「え?」
「俺が謝るのは、相応しくない」
「っはぁァ!?」
予想外! と言わんばかりに、
腹の底から無駄に張り上げられた声。
アイゼンは咄嗟に、左耳だけ軽く塞ぐ。
いちいちうるさいんだよ。
「そう来る」と分かっていたクセに。
白々しい。
――
昼休憩。
二人は今、食堂のカウンター席に”仲良く並んで”、座っている。
テーブル席は既に下級生たちで埋まっていたようだ。
時間はお昼の12:30。
混雑がピークを迎える頃。
養成所の中には、24時間開放された無人の食堂が設置されている。
全てが無料で利用可能。
無人の割に、管理は隅々まで行き届いてるそう。
どのような仕組みで運営が成されているのだろうか。
利用しているこどもたちのマナーも徹底されている。
厳しい教育の賜物、……かしら?
「使ったものは元通りに片付けましょう」
「みんなで仲良く使いましょう」
「迷惑行為はやめましょう」
「”当たり前”を守りましょう」
これくらい、ヒトとして当然。
「当たり前って、何だよ?」
とにかく、
【非常に便利で親切なサービス】
を、提供してくれていることには、間違いないね?
これは、それ相応に恩を返さねばならない!
ただ、全てが冷凍やインスタントな上、
種類も少なく変わり映えがしない。
【食事に拘りが強いこどもには向かない場所】
だそうだ。
無論、
【少食且つ偏食な1496番】
【食えりゃ何でもいい主義の1483番】
この二人が任務中以外で
食堂にいなかった日は、無い。
――
……それで?
「0対100でお前が悪い!」
「50対50だろ、グリリア」
先程から責任の所在らしきものを議論している二人であったが、内容は非常に幼稚なものであった。
講義中の居眠りの件だ。
「兵長殿の講義中に居眠りですかァ……」
「はい」
「どうしたもんですかねえ、アイゼンさん?」
先程より、声に力が入る。
同時に、脳へ響く音圧も上がってきた。
”本日の犯人”は、どうやらアイゼンだったようだ。
「どうしたもんですかねえ、グリリアさん?」
口調を真似る。
「……お前、」
「?」
「マジで……、ふざけてんのか!」
胸ぐらへ伸びてきたグリリアの右手を、
アイゼンは簡単に掴んでみせた。
【感情的な奴は動きが読める】
全く学習していないな?
「ふざけてる? 俺が?」
「ああ、そうだよ!」
「よく言うよ」
「何が?!」
「まず前提として、」
普段居眠りをしている馬鹿野郎は、どちら様だ?
「っあ!」
グリリアの音楽が、びくっと一瞬止まった。
手を振りほどこうとしたが、
アイゼンの掴む力が妙に強い。
爪を立てられて、痛い。
どうしても力では勝てないね。
「俺はこれまでその都度、一緒に叱責されてきたが?」
連帯責任というやつのせいで。
「……そ、それはそれ、今日は今日だ!」
「それはそうかもしれないが、」
「なんだよ!?」
お前は過去、俺に一度でも謝ったか?
「うっ!」
その反応を見て、
アイゼンの口の端が少しだけくっと上がる。
「どうなんだ?」
「えっと……、」
「どうなんだよ?」
「謝って…………る!」
「ハァ?」
嘘をつくな。
「……、あ」
「あ?」
「いや、あの、……」
「あの?」
「いや、別に……」
「それに、俺はお前に謝罪を求めたことはないぞ」
「……うぅ」
まさか、押し負けそうだ。
ぽとぽとと、高い位置から足元へ
音符が落ちていく。
「都合が良いんじゃないか、グリリア?」
「…………」
「それで、俺に謝れって?」
ざまぁねぇな。
「……ん、」
「0対100なのか?」
「……、あ、はい、はいはい」
「?」
「はいはい、常にボクが悪いんです、
はーい、すみませーん」
棒読みという表現は、
こういう時に用いるのが適切かもしれない。
相手に謝らせるつもりが、
こちらが謝ることになってしまった。
グリリアは敢えて分かりやすく
【いかにも不満そうな顔】で、謝った。
自業自得じゃないか。
「それにしても!」
「?」
「今日のはヤバいだろ!」
「ああ……」
「お前こそ謝れよ!」
引きを知らない奴だ。
今日のはヤバい。
言葉を補うと、
『今日の居眠りは特にヤバい』
らしい。
よりによって、【兵長殿の有難い講義中】だ。
殴られても仕方あるまい?
「わざとに決まってるだろ」
非常にあっさりとした回答。
ここでようやく、アイゼンはグリリアの手を放した。
解放されて、慌てて手を引っ込める。
「わ、わざと!?」
「ああ、そうだ」
「なんで!?」
「答える義務はあるか?」
「あるよ!」
「お前の真似だよ」
「はァ!?」
だから、いちいち声がデカいって。
「講義中に寝るのは、【ヤバいこと】なんだろ?」
「あ!……ああ、そうだ!」
いつもやっているクセに。
だから、
「その【ヤバいこと】を最も危険なタイミングで
”真似をしてみせた”だけだよ」
「…………え?」
グリリアはそれを聞いて、
急にぱちっと大きく目を見開いた。
「お陰で俺は、周りの心証を損ねたかもしれない」
「……」
「特に、兵長の」
「……」
「聞いてるのか?」
次の返事に、ほんの少しだけ間が空く。
「……は、はい?」
淡々と話すアイゼンを前に、
グリリアはぱちぱちと、何度も瞬きをしている。
「お前は普段何も恐れず
平気でこういうことをやっているんだな」
「……」
「それでいて俺は”やってもいない事で注意される”」
「……」
「ああ、理不尽極まりない」
”連帯責任なんて、クソ食らえ”
「……それを、ボクに分からせるためか?」
「そうだ」
?
「わざわざ、”ボクの真似”をしたのか?」
「そうだ」
???
「それで、わざわざ、兵長に怒られたの?」
「……そういうことになるな」
「あのさあ、アイゼン?」
「何だ?」
お前、やっぱり馬鹿野郎だな。
「は?」
失礼な。
「っていうか、……」
「何だ?」
「…………、ふふ」
「?」
「っふふふ」
「どうした?」
「いや、あの、ふふ、っははは!」
「??」
「変なヤツ! あっはははは!」
突然笑い出したグリリアを見て、
アイゼンは目を細めた。
どうして笑う?
「え、分からない?」
「うん」
「考えろよ! っははは!」
思わず、アイゼンの頭をぱしっと叩いた。
「いたっ」
「何なんだよお前は……っははは!」
「え?」
「とことん意味が分かんねぇ……」
「……」
「面白ぇ奴……!」
グリリアは自分の腹を押さえながら、
右目から溢れる涙を拭っている。
音符が忙しなく跳ね回る様子は、
なんとも彼らしい、煩いメロディライン。
よく分からないなりにも、
アイゼンは少し恥ずかしくなってきた。
「……、笑うな」
「馬鹿だなーーっ!」
「やめろ」
「あっははは!」
そう、なんだか、”恥ずかしい”。
あまりにお前が笑うんだもの。
別に、何も間違って、ないよな?
平和だ。
ああ、なんと平和な、ごく普通の昼休み。
「あーー、もう、何でもいいや!」
グリリアは横に置いていたコップから
水を一気にぐいっと飲み干した。
「何が?」
「笑ったらスッキリした」
「……そうですか」
アイゼンの眉間には、
”いつものように”、皺が寄っている。
「悪い悪い、じゃあ、50対50ってことで」
「ん……」
「不服そうだな、アイゼン?」
”気に入らない”
「あっそう」
「……」
「とりあえず、今、ボクが忠告できることは、」
他人の真似なんてするもんじゃない、ってことだ。
「どうして?」
「どうしても、こうしてもだよ」
「?」
「特にボクの真似なんてさあ」
「……俺は、」
「『お前みたいに』?」
「……」
「なれないって、絶対」
「……」
他人になることなんて、できないんだから?
「っていうか!」
「?」
「お前! とりあえず謝れよ!」
「ああ……」
「今日のはお前が悪いんだからなアイゼン!」
「とりあえず、で良いんだな?」
「はい! どうぞ!」
『すみませーん』
「なんだその謝り方!?」
「さっきのお前の真似だ」
「っだからーー!!」
ああ、うるさい、うるさいうるさい。
こうして特に何も起きず何も考えず、
馬鹿みたいに楽しく笑っていられる時間。
なんて、いとおしいひとときだろう。
失ってみて初めて気が付く何とやら。
分かんないかなあ?
普通というものは、本当は”普通ではない”んだよ。
******
「お隣失礼しますね?」
がしゃっと雑にトレイを置いて、
グリリアの左側の席にとある男がどかっと腰掛けた。
見るからに二人よりも年上。
放つオーラが違う、とでも表現すれば、
何か伝わるだろうか。
キリッとつり上がった目尻に、鋭い眼光。
一部だけメッシュの入った短髪は、
彼なりのお洒落なのかもしれない。
少しだけ香る、甘い酒が混じり合ったような、
大人の香水……
「っあ!、ビックリした」
その存在に気が付いた途端、
グリリアの音楽は明らかにぱっと晴れやかになる。
それからすぐに相手と"同じ旋律"を奏で始めたのを、
アイゼンは確認していた。
これは、その人物と【特別仲が良い】という証拠。
男の服装は、周りのこどもたちのそれとは
明らかに違っていた。
普通なら滅多に着ることがない、「正装」だ。
「どうもどうもお疲れさまです、お二人さん」
ふざけた敬礼でご挨拶。
「何しに来たんだよ、ハンス?」
「見ての通りお昼ご飯ですが?」
「他にも席空いてるだろ? 邪魔だ、邪魔」
と言いながらも、グリリアは相手の方へ
少しだけ自分の椅子を寄せる。
きっと、仲が良い故の、無意識の動作。
「……お前さあ、」
「なに?」
「いい加減、先輩にタメ口はやめろよ?」
「は? 今更?」
ハンスと呼ばれたその男は、
ぐっと、目の前の相手に顔を近付けた。
「たまには『親愛なるハンス先輩~』、
とでも呼んでみろよ」
「あ、”ぱわはら”だ」
「さもないと『小さくて可愛いグリリアちゃ~ん』、
って呼ぶぞ?」
「あ、”せくはら”だ」
実にテンポが良い、それでいて、中身のない会話。
「全く……、ああ言えばこう……」
「”クソでゲスで最低最悪なハンス先輩”、
なら、どう?」
「あ!?」
「よく似合ってる名前だよ、アハハハ」
指をさして笑うとは、なんと失礼な。
「お前、」
「なに?」
「後で覚えとけ~?」
「いちいち覚えてられませ~ん」
「……っこの野郎!」
「うわっ! 何すんだ!」
「体で分からせてやる」
「いてててててて」
軽快なメロディの掛け合い。
それはがちゃがちゃと妙に煩く、
ぶっきらぼうにアイゼンの脳に直接響いてくる。
この二人が一緒になると、いつもこうだ。
仲が良いのはとても素晴らしいこと。
楽しそうで、なによりです。
それを羨ましいとは思いませんが。
「冗談はさておき……、」
ぱっとグリリアから離れると、
ハンスは次にアイゼンへ話し掛けた。
「よぉ、元気にしてるか、アイゼン?」
「はい」
その"何も無い返事”に特に変な顔をすることもなく、
ハンスはそのまま次の台詞を繋げた。
「ドールが心配してたぞ」
「?」
「”1483番と仲良くやってるのか?”、ってな」
言いながら、右手でグリリアの頭を
帽子ごとぐしゃっと上から押し付ける。
「いてぇ」と、軽く声が聞こえた気がした。
「はい」
アイゼンはそちらへ全く目を向けない。
改めてカップを手に取り、
スープの続きを口にしていた。
「先輩」と名乗っている相手なのに、
こんな素っ気ない対応で失礼ではないのか。
「おい、どうなんだよグリリア?」
アイゼンの「無」の対応に、
ハンスはその通り何も読み取れなかったようだ。
これがアイゼンの「普通」であることは、
ハンスもよく理解していた。
いちいち注意するようなことではない。
「何が?」
「仲良くやってんのかって、お前ら?」
結局は「よく喋る」且つ
「分りやすい」人間に聞くのが一番。
「……まぁ、それなりに?」
「もっと具体的に」
「それなりは”それなり”だよ、ハンス」
「はあ?」
っていうか、
「急に現れたと思ったら、
なんでそんなこと確認するんだ?」
グリリアは仕返しに、ハンスの足を軽く蹴った。
「痛ぇな!」
「で?」
「あぁ、……、」
「何??」
「上がいちいちうるせぇからだよ」
「上?」
上層部。
「ツインの関係値改善は、常日頃の課題だ」
「はぁ?」
「横の連携が上手くできていないと、
任務に支障来すだろ」
「ボクらに改善点なんて?」
「大アリだっ」
ハンスがそう答えたところで、今度は
アイゼンの右隣に別の男が腰を下ろした。
小さくカタっと、静かに椅子が鳴った。
肩付近までぴったりと揃えられた
濃い茶色のストレートヘア。
そこからちらっと【妙なケーブル】が
覗いているのが確認できる。
変わった髪型? だな。
「あ、ドールだ! お疲れ~」
彼が、ドールという男のようだ。
ハンスと同じく、彼も周りのこどもとは
違った服装をしている。
これはつまり【上級生の証】
といったところだろうか。
「お疲れ様です、1483番」
ギュイっと変な機械音の後に、
抑揚のない、淡白な挨拶。
何の音だろう?
気にせずグリリアは、
右手をひらひらっとそちらへ振った。
「お疲れさま~」
「お元気そうですね、1483番」
ドールは声がした方へゆっくりと顔だけを向け、
同じように右手をひらひらと振った。
「体の不調はございませんか?」
「ボクはいつも元気だよ」
「そうですか、それは良かったです」
「ドールは?」
”Und dir?”
「はい?」
「?」
「私が、何ですか?」
今度はピロピロと、かわいい電子音が聞こえる。
「あ! ”ドールは、お元気ですか?”」
グリリアは何かに気が付き、台詞を言い直した。
「はい、私は元気です」
「そ、そっか」
「ご心配ありがとうございます、1483番」
ハンスの時とは打って変わって、
何ともテンポの悪い会話。
それでいて、同じく会話の中身は空っぽ。
グリリアの口から思わず漏れた小さな溜息に、
ハンスは苦笑いで答えた。
このような、
”お元気ですか?”
”元気です、ありがとう。あなたはお元気ですか?”
”私も元気です、ありがとう”
という、【語学の教科書に載っているような会話】を
実際に目の当たりにするとは……
アイゼンはカップを置いて、少しだけ俯いている。
”やっぱりあの時から、
ドールの音楽は聞こえなくなった”
会う度にそれを実感してしまう。
聞こえてくるのは、変な機械音だけ。
もう毎度のこと。
早く慣れた方が、変に精神を病まない。
アイゼンにとっては、
【音楽が感じられない存在】
の方が、異常で、且つ、恐怖だった。
だって、死んでいるようなものだから。
「1496番、どうしましたか?」
ドールは、その【大切な後輩】の右肩に
そっと、手を置いた。
アイゼンの体がびくっと、軽く跳ねる。
「……っあ、」
「?」
「……何でも、ありません」
「低体温の兆候が見られます、防寒をしましょう」
ドールは首に巻いていたマフラーを
するっとアイゼンの首へ丁寧に巻いた。
「っ!」
「1496番?」
「……」
声が詰まる。
ドールはそんなアイゼンの様子を、
瞬きをせずに、ずっと同じ表情で見つめている。
「心拍数の上昇、発汗、震えが見られます」
「……」
「緊張、焦り、恐怖感、それから?」
ドールの"機械的"な問いかけに、
アイゼンの返答はない。
「……」
「どうされましたか、1496番?」
「……ん」
いや、上手く返事ができない、ようだ。
「私は貴方を心配しています」
「ドール……」
「はい、何でしょう?」
それは単に「怖いから」だけではない。
他にも独特な理由が存在していた。
「1496番?」
独特な理由?
………
「ドール、待って」
見かねたグリリアが、二人の間に割り込む。
アイゼンが今、”何を思い出して”いるのか、
彼には全て聞こえているからだ。
「何でしょう、1483番?」
ドールの目線は、尚もアイゼンに向けられたまま。
その目は完全に瞬きを忘れている。
今の彼を簡単に形容するなら、
「まるで人形のようだ」
これがぴったりである。
「えっと、……1496番は、びっくりしたみたいです」
グリリアはアイゼンの代わりに、
”適当”に答え始めた。
「驚いた、ということでしょうか?」
「そう、それそれ」
「一体、何に?」
「急にドールが現れたから……じゃないかな」
当たらずとも遠からず。
「私のせいですか?」
「別にドールのせいじゃないよ」
「”別に”、とは?」
ドールの黒目が、右へ左へと行ったり来たり。
変な電子音がしゃりしゃり鳴り始めた。
「っあ、その……とにかく大丈夫だよ〜!」
「大丈夫?」
「ほら、見て〜!」
グリリアは慌ててアイゼンにぐっと近付くと、
無理矢理肩を寄せ合ったり、
むにっと頰を引っ張ったりしてみせた。
元気いっぱい、なかよし。
「ほらほら、1496番は大丈夫!」
「そうなんですね」
「だから安心してよ、ドール」
アイゼンの首に巻かれたマフラーをするっと外し、
グリリアはそれを、ドールにささっと巻き直した。
「はい、それなら、安心しました」
「よ、良かった……」
すぐさまピコーンと、また変な音が聞こえる。
「嬉しいときには皆で【喜びの歌】を歌いましょう」
ドールはグリリアの両手を持って、立ち上がった。
「え!」
「どのパートを歌いますか?」
「え!!」
この男は何を言い出すのか。
全くもって、意味不明だ。
「貴方は声が高いので、主旋律の」
「待って待って!」
「はい、何でしょう?」
「今はやめよう、今は」
「何故?」
「ほら、あの、食事中だし……?」
”食事中の歌唱はとても行儀が悪いことです”
「そうですか、分かりました」
「うん……」
「では、食後に歌いましょう」
「ええ!?」
ハンスは三人のやり取りを横目でちらりと眺めつつ、
特に口を挟むことはしなかった。
やっぱり、機械の相手は難しいよ。
――
突然現れたこの二人。
ハンスと、ドール。
改めてお知らせすると、
彼らは「先輩」に位置する存在。
ハンスが九年生、ドールは七年生だ。
先ほどの様子から察するに、
どちらもグリリアとは仲が良いのであろう。
とりわけハンスとは、まるで「友達」かのよう。
十年目から本部異動となる話は前に書いた。
つまり、ハンスは養成所の最終学年、である。
随分と先輩じゃあないか?
先輩であれ目上の存在であれ、
上下関係なんて全く気にしない。
それがグリリアの良くもあり、悪くもある点だった。
「余所余所しいのは嫌いなんでね」
反対に、アイゼンは相も変わらず
先輩にすら関心が薄いのか。
「……いいえ?」
そうでもないのが、本当のところ。
特にドールに対しては、
ある特別な感情を抱いていた。
”罪悪感”だ。
――
「最近、目立った任務がないよね」
どういう意図で放った言葉か読めないが、
グリリアはハンスに向かってこう言った。
彼の言う【目立った任務】というのは、
どのようなものを指すのだろうか。
「平和で良いじゃないか?」
ハンスは既に食後のコーヒーを嗜んでいる。
席についてからまだ10分も経っていないのに。
食うのが早い男は、仕事ができるって証拠さ。
「平和……?」
「そうだ」
「ボクらが頑張ってるもんねぇ……」
「……」
こういう時に見せるグリリアの笑顔には、
ハンスは毎回分かりやすく嫌悪感を示していた。
「グリリア、」
「なんだよ?」
「お前、自惚れんなよ?」
「自惚れてなんかいませーん」
「どうだか……」
持っていたコーヒーカップを、
グリリアの頬に軽く当てがった。
よりによって、兵長に殴られた左頬だ。
知っていてか、知らずしてか。
「いってぇ!!」
「っははは」
「ハンス!! てめぇ!!」
「先輩に”てめぇ”はないだろ……」
「じゃあ、貴様」
「おーい」
二人のぶつかり絡み合う音符に飽き飽きしたアイゼンは、左肘でグリリアの右腕をこついた。
「あ、悪ぃ」
「何が?」
「ハンスに言ったんじゃねぇよ」
「……あっそう」
では、気を取り直して。
「こんな話が転がって来ましたよ、お二人さん?」
ハンスは自分のリングから、
アイゼンとグリリアの端末宛に何かを送った。
受信音と共に、アイゼンはすぐにメッセージを開く。
グリリアはそれを、ぐいっと横から覗き込んだ。
「B?」
これは、任務の難易度のことだ。
危険度、と言った方が正しいか。
六段階で示される内の【危険度B】とは、
単純に【Aの次に厳しい】、という意味である。
馬鹿でも分かる、親切な難易度設定。
「嫌な予感がしたんだよ……」
「勘が良いな、グリリア」
食堂で先輩に捕まる、というのは、
つまり「そういうこと」だ。
「ハァ…………」
大きな溜息。
「上からのご指名なんだぞ、お前ら」
「なんで……なんでなんで」
「嬉しいだろ?」
「クソ……」
「特別手当でも申請するか?」
「金の話じゃねぇよ馬鹿野郎!」
「そっかそっか〜」
机に突っ伏したグリリアを見て、
ハンスはよしよしと、”慣れた手付き”で頭を撫でた。
アイゼンの、リングを持つ手に力が入る。
内容を読めば読むほど、
【ある程度の覚悟】
をしなければならない気がしたからだ。
はてさて、どんな任務なんでしょう?
その様子を、ドールはただ静かに
また「人形のように」、じっと座って見守っている。
「ドール、」
「何でしょう、1496番?」
敬称なしに先輩の名が呼べるほど、
アイゼンはドールとは”本来”、親しい間柄だった。
「俺が、守るから」
「何をでしょうか?」
「俺が、あなたを守ります、ドール」
そんな実力もないクセに。
「いいえ、守るのはこちらの役目ですよ、1496番」
「……」
「私は貴方を守らなければならないのですから」
「……」
******
アイゼンたちは現在、四年生だ。
ということは、当たり前だが
【五年生より上の学年が全て先輩】
ということになる。
この養成所には一体、一学年に
何名ほど在籍しているのだろうか。
先輩もこれから沢山出てくるのであろう?
いいえ。
現在、ハンスとドールを含め、
上級生はたったの「三人」しか在籍していなかった。
少ないね。
みんな、どうしたのかなあ?
”まあ! 上級生と一緒に出動するなんて!”
なんと喜ばしいことか。
他のこどもが大変羨ましがるであろう。
また皆より先に進んだ経験を積むことができるね。
”万歳! 万歳!”
「……アイツに自慢してやろうかな」
「アイツって?」
「ヒンヴェックだよ」
彼ならきっと目をキラキラとさせて、
”いいなーー!”
”ずるいなーー!”
”なんでーー!?”
といった類の答えを返してくるに違いない。
代わってやろうか?
どうしてまた、俺たちはこんな使い方をされなければならないのか。
全く、理不尽極まりない。